#45 【日本刀専門店 銀座長州屋】時価数千万円!名工源清麿 爆誕の謎を解く 【新説】清磨長州行きの真実

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  • Опубликовано: 6 сен 2024
  • #日本刀 #日本刀販売品 #日本刀銀座 #日本刀東京
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     幕末の名工山浦 環 (清麿)が天保十三年に鍛造した短刀を取り上げます。
    今回はその2回目です。
    清麿が長門國を訪れた真の目的とは?誰も語らない『清麿の長州行き』の決め手となった二つの縁とは? 
    清磨の天賦の才は、窪田清音・西涯礀・村田清風など当時の傑物達との出会いそして、長州行きで得た刀造り欠くことのできないある物によって遂に開眼しました。
    清磨作中最高の出来と賞揚される短刀を手に取りながら、不世出の名工清磨の息使いが伝わりくる内容です! お見逃しなく!
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    出演 深海信彦
    聞き手 営業部 今津
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Комментарии • 15

  • @dt2576
    @dt2576 11 месяцев назад +4

    清麿大鑑はすぐに購入発注しました。材料を求めて遠路旅立つその気概からは、清磨さんの刀はいろいろな思いも含めた作刀の結果なんですね。しかし、3両とかで注文を受けていたことには驚きました。世俗の金銭的なことではなく、自分が納得できる刀作りを最優先に考えていたのかもしれないですね。
    一言さんお断りのお店で清麿の注文打ち刀をひたすら利益追求の”商品”としている現代を考えると、清磨さんの刀が世俗にまみれたものになってしまっている現実に思うところがありますね。。
    今回も動画配信、ありがとうございました。

    • @ginza_choshuya
      @ginza_choshuya  11 месяцев назад +3

      誤解されていた清磨の長州行きこそが彼の刀工としての実力を育む揺り籠の役割を果たしていた事実に感動しました!清音や西涯礀先生との出会いが彼の天賦の才を開花せしめたという事実・・・。
      清磨作品の魅力に加え、彼の作刀人生にも強い興味を覚えた方も多くいらしたものと思います。
      動画を通じて日本刀の魅力が作品だけにとどまらないという点を多くの方に知っていただければ幸甚です。

    • @dt2576
      @dt2576 11 месяцев назад +1

      清磨の作刀人生について、研究した本等があるのでしょうか?清麿大鑑はまだ手にはいっていませんが、あるお店で正宗と清磨がなんで展示していた時、煮えがなんとなく似てました。この名工を比較、研究(特に使用材料など)があればよいのですが。。
      日本刀はいろいろな刀工がその当時入手できる材料でいかにしてつくるか、現存する刀はその創作人生の結晶だということがよくわかりました。動画配信、楽しみにしております。

    • @ginza_choshuya
      @ginza_choshuya  11 месяцев назад +2

      事実に基づく清麿の伝記というのは残念ながらありません。清麿を主人公にした小説はありますが、伝記が書けるだけの文献資料はないので、やはり想像で書かれた部分が多いとおもいます。

    • @dt2576
      @dt2576 11 месяцев назад +2

      ご丁寧な返信、誠に有難うございました。清麿大鑑にはP8に鉄の種類等、詳しく書いてありました。この動画配信は刀を使用し剣術を学ぶ人でも一読の価値ある有益な本の紹介もしてくださることに改めて感謝いたします。

  • @354e2
    @354e2 11 месяцев назад +4

    江戸後期の刀には稀に“まる鍛”に近い鍛刀や江戸前期の初代忠広(村正写しなど)から延宝に掛けて特殊な光学カメラで画像を撮ると“まる鍛”の刀を稀に見ます
    また、大阪新刀の丹後守直道の茎には「以完栗鐵之造」と切られた刀なども見ますので、当時大阪には一時日本中の最上級の玉鋼が集まって居たとも聞いています
    江戸後期には吉井川上流から取れた最上級の玉鋼が地方に鍛刀技術と共に残って居たと云う事なのでしょうか!

    • @ginza_choshuya
      @ginza_choshuya  11 месяцев назад +2

      様々な刀工が良い刀を作るために玉鋼を手に入れようと全国各地から取り寄せたのでしょう。
      物流の発展がこのようなことを可能にしたのですね。興味深いです!

    • @354e2
      @354e2 11 месяцев назад +2

      そう云えば茎に『以南部餠鐵之造』と切られた刀も有りました
       新刀期以降、鈩製鉄法や産出される砂鉄の品質の違いに加え、鍛冶技術や鍛造法の違いで、刀の地金の質感も違って来たのでしょうね
      古刀期から、同じ鈩場からでも毎回一定の同じ品質の玉鋼が出来る事も考え難いですし
       それでも鈩職人の名人はかなり高度な水準の玉鋼を造って居たでしょうが!
      縄文期の製鉄遺跡や淡路島の五斗サ遺跡に加え弥生時代の銅鐸や銅剣·鉄器に上古刀の地金を見ても素晴らしい技術や製鉄技術が成させて居るのを見ても、古の工人の練度は凄かったんでしょうね!

  • @hiroakiminowa7431
    @hiroakiminowa7431 11 месяцев назад +3

    天才が見い出されて、世に出て来たのかと思っていました、玉鋼が絡んでいるとは!!

    • @ginza_choshuya
      @ginza_choshuya  11 месяцев назад +2

      私も初めて聞く話で驚きました・・・

  • @user-ef8bn3cg4i
    @user-ef8bn3cg4i 11 месяцев назад +2

    実に面白いお話を拝聴致しました!
    本当に有難う御座いました。
    但し私的には室町期の輸入鉄も、もしかしたら絡んでいるのかもと想像を膨らませてしまいました。

    • @ginza_choshuya
      @ginza_choshuya  11 месяцев назад +1

      材料の玉鋼だけでも大きな謎とロマンが刀にはありますね。

  • @goldsat1
    @goldsat1 11 месяцев назад +2

    面白い!興味津々!
    時間は掛かっても間違いなく登録者10万人行くと思う!
    コラボもありかな

    • @ginza_choshuya
      @ginza_choshuya  11 месяцев назад +1

      コラボですか!おもしろいですね。機会があれば企画を立ててみましょう!

  • @maekeisuke2248
    @maekeisuke2248 25 дней назад

    たった3両でなんて 刀鍛冶に死ねというようなもの